|
・サイケ=サイケデリックの略:広辞苑より
・サイケデリック=幻覚的。幻覚剤によって生ずる 幻覚状態に似たさま。
この状態を連想させる彩色の絵・デザイン・音楽についてもいう:広辞苑より
さて、その「お店」はというと、壁にはサンフランシスコで開催されたジェファーソン・エアプレーンの
飛行機がやっとのおもいで飛んでいるイラストが描かれたコンサートポスターが貼られ、
天井には大きな太陽神のペイントが描かれている。
中坊たちはド肝を抜かれた。
トイレの裸電球はむき出しに壁から露出し、目玉が描かれている。
以来、便所がクールなお店は大好きになった。
「何か聞きたいレコードある?」 さすがに神田川はない雰囲気、と、すかさずヒーコが
「えっと・・・レ、レッド・ヅェッペリンお願いします」
「ご注文は?」
「コーヒー2つ」などと、なんとかナメられないようにと背伸びしてこなした初体験は
「タバコは吸ってもイイけど、吹かすだけだと煙いんだ。次は頼むね、またおいで」
とのご指導いただいたのみで、無事に終わったのだった。
その「地下の店」では見るもの聞くものがめずらしい。
そして、自信のついたぼくたちふたりは、もう中学がどこだとか、
あいつツッパッている(もはや都市部では死語です)など、そんなことはもうドーでもよくなり
足繁く「地下の店」へと通うようになった。
そこで学んだのは「タバコは吹かすモノではない」ということだけではなかった。
当時、過激派女性擁護団体は無条件に、つまり双方に非があったとしても、
離婚した女性のみを救うため、もと夫の前にピンクのヘルメットを被っては現れて、
過激な行動に出たものだった。団体は、自宅はもとより会社や仕事先まで「もと夫」を追いかけまわす。
追われたもと夫たちはもう、本物の過激派たちが潜伏している山村のコミューンに行くか、
海外に出る以外に行き場を失うくらい追われるのだ。
さすがに潜伏するのはイヤでしょ、と「もと夫」は借金をして海の向こうに渡ったのだった。
親というものは、いつもありがたい存在であり、またいつも厳しい。
最初の借金まではよくても、追加資金注入はまま成らない。
そこが日本国政府と違うところだ。
アメリカ合衆国、カリフォルニア州はサンフランシスコに渡った「もと夫」の金はすぐ尽き、
まあ、仕方なくコミューンと呼ばれるヒッピーたちの共同生活の場へと転がり込むことになる。
たしかハーバード大学の心理学者たちに端を発した平和主義・博愛主義的な思想が、
大統領になるまえのJ.F.ケネディーや美術家、音楽家など革新的なアーティストたちを巻き込みながら、
やがて多くの若い世代の人たちの間に広がるラヴ&ピースを旗印にベトナム反戦運動へも発展する。
かれらは、コミューンと呼ばれる自治的な共同社会をつくりあげ、
みんなで自給自足の共同生活を始める。
そこで共同生活してラブ&ピースを崇拝する人をヒッピーと呼んだ。
サイケデリックなムーブメントもコミューンから始まったのもらしい。
コミューンの語源はヨーロッパの共同自治村の意。
ベトナム戦争や1960年代という時代がもたらしたものは、それぞれの国々のそれぞれの社会背景で
大きく違う。 質まで違うのだ。
日本では過激派が潜伏していた場所も、コミューンと呼んでいた。
「もと夫」は日本のコミューンを嫌い、サンフランスシコのコミューンに行きついたということになるのだ。
そしてサンフランシスコの山にあった彼の住むコミューンの頂上には
歴史的なローカルバンドが共同生活をしていたのだった。
サンフランシスコの街を代表する企業であるリーバイスジーンズの会社は、
全米で最初に同性愛者を積極的に雇用し、またHIV陽性者も最初に雇用している。
この街はおそらく全米でもっとも博愛的かもしれない。
ゲイ&プラウドの頭文字がブランド名の「GAP」も現在この街の代表的な企業らしい。
さて、地下にあるその店にはレコードはもちろん、精神にいたるまでそのコミューンから送られてきた。
だから英国ロック全盛ともいえる頃なのに、その地下の店だけはレコード棚の並びが、
ニューヨークのバンドから並べられてサンフランシスコのバンドで終えている。
ほんの少しだけ、お客が持ってきた英国ロックが置いてあった程度で、はじめてリクエストした
「・・・・えっと、レ、レッド ヅェッペリンお願いします」は幸運にも
その店では数少ない英国バンドだったのだった。
やがてぼくらは高校生となり、チェリーよりは少しましな名前のタバコを吸うようにもなる。
近所では手に入らないアメリカ製のリーバイスをアメ横で買うようにも教わった。
高校は電車で1時間ほどかかる場所に通ったが、奇遇にもふたりの学校は1駅違い。
ただ、高校は別なのだから「学閥」も変わり、通学も別々。
毎日帰宅し着替えて、地元の地下の店で集合するようになった。
頼まれもしないのに、お店を手伝い、その当時の彼女とも地下の店で出合ったりした。
しんしんとした季節、しずかな音楽が染み渡るたるように流れ、曲の間に流れる
レコードのノイズに癒されることも知った。
ベビーブーマー世代のお客さんたちも、お店の仲間のひとたちも、
見慣れない小僧たちを仲間として扱ってくれた。
市川真間のバス通りの踏み切りのとこにある
「当店はスープが熱く、カウンターも高いのでお子様には不向きでございます」
という注意書きのラーメン屋さんでよくご馳走してもらったものだ。
そのひとたちの生き方すべてが自分たちの教科書となった。
|